2016年12月30日金曜日

現場の空論3落ち鮎(2002年8月)

現場の空論は「ウケたら続けよう」と萱間編集長がおっしゃったので、三回ほど頑張ってみました。幻の4回目はボツでした。

※Sport & Fishing NEWS 2002年の初校原稿です。

現場の空論〜episode3
超現場編・落ち鮎パターンで爆釣せよ!!

好き勝手書くのでアテにしないでね!
text by小川健太郎
社会の役に立たないことなら妙に頑張れる25歳。車在住。


●落ち鮎パターンとは
 毎年10月にもなると産卵を終えたとみられる、色付いたアユが、力尽きたのか川の上流からフワフワと流れてくる。これを落ち鮎というそうだ。シーバスやバス、トラウトをはじめとするフィッシュイーターはココゾ!とばかりにこれらのアユを捕食し、腹がパンパンになるまで食べ続けるのだ。当然このアユを意識したルアーアクションを理解すれば大爆釣することになり、このパターンこそが「落ち鮎パターン」といわれる。

●魚の着き場
 落ち鮎パターンでは『流れてくるアユが溜まりやすいエリア』が好スポットとなる。流れの本流があればその脇、よどみ、障害物の影など。川を大きくみれば海との境界である河口や、ダムとの境界となるバックウォーター、魚道の出口などがその好漁場ということになる。魚になって考えてみれば、餌が降ってくるわけだから少しでも上流に上っていきたいという競争になる。したがって流れが水の大きな溜まりに消し込むあたりには沢山のフィッシュイーターどもがウゴメいている計算になるのだ。

●流れに対するアプローチ
 流れの中の釣りとなると、夏でもないかぎり魚は流れに対して真っ向勝負を挑まない。やや流れが緩んだエリアを点々としながら、流れのポケットにエサが舞い込んでくるのを待っているという個体が非常に多いのだ。当然ピンスポットの好漁場には少数の大型の個体、だだっ広い好漁場には沢山の中型の個体が着きやすい。したがって流れが緩むシャローエリアでは沢山釣れるがサイズがパッとしない…と今まではそう考えていたし、そういう結果を伴っていたのである。

●ルアーアクション
 メインのアクションはドリフティング。流れに対してこちらからリーリングして泳がせることなく、ただ流れに乗ってアクションするだけにとどめるスローリトリーブである。対岸に投げれば流れに乗って扇形に手前岸に漂着するような格好で、流れの緩むエリアなどでルアーが勝手にふらついたり漂ったりするほうが落ち鮎らしい…と、これまたよく釣れるのでそう解釈していた。当然この先もこの方法で釣れることは間違いないのだが…。

●ルアー
 ルアーは主にミノーが主体となる。日によってサイズやレンジ、カラーが重要になることがあるのだが、基本的なドリフトができればトップやワームなど様々なルアーでも釣果を出すことが出来る。愛用ルアーは表層にアイマコモモSF125、宙層にウェイビー85Sという、どちらも流れの変化に対応して身を翻したり、ふらついたりという、突然イレギュラーな動きを見せるルアー。これに加えて、LV200でボトム付近を手堅くカバーするのが私の常套手段であった。これに今年発売したWスウィッシャーであるラッキークラフトのスプラッシュテイル、アイマサスケ90SS-壱(固定重心)の両ルアーを手に入れたため、オイシイ思いができた。特にサスケでは、対岸手前に投げてクラッチを戻し、巻かずに竿を立てるだけで40アップバス連続13ヒットという初めての経験も味わえた。
 ちなみに私の場合リアフックにはほぼすべて4本フックとなるデコイのX-S51を使用。このフックをリヤに装着するとまずフロントフックにかかった魚の体に、リア4ほんのうち一本が掛かり、両隣にある2本が身を押さえるように当たる。このため刺さった方向に抜かないかぎり抜けにくくなり、バラシが減少した。

●カラー
夕方から暗くなるまでの釣りが多いので、時間帯に応じたカラーが有効だ。夕方、陽が陰るに連れて金や落ち鮎系カラーから白へ、暗くなるとスモークなどシルエットのはっきりしたものがよいようだ。

●気になるランカーハンターのルアー
 バスの話になるが、この釣りでよく釣る釣り人のルアーを紹介したい。池原ダムで出会ったグレッグ氏はやや細身のスイムベイト全般を使用。また、私のランカーハンティングの師匠である上州屋生駒店の岡村氏はキャスティークトラウト9インチ・シンキングのリップ外しモデル。同じくランカーハンターである、大阪のショップ伊勢吉の森口氏はラパラF18(旧モデル)。いづれの方もドリフトを主体に置いているようだ。

●全てをくつがえす60upが登場
 でもって今シーズンのバス。上記の釣り方で異常と思えるほど沢山の魚を釣ることができた。ただ、バスのサイズが55を超えることがなかったため、少し悩んでいたのだ。そんなとき、前述の岡村氏が「流れのなかでブリブリしてるルアーのほうがデカイのが釣れる」と教えてくれたので、開発中のブリブリ集魚系ウォブリングミノー『ザ・ナイフ』のプロトモデルを念の為ボックスにしのばせてみた。
 その日は空に雲が垂れこめて少し暗くなるのが早かった。夕方の間にある程度釣りをすませた我々は河原で適当なことをしゃべりながら、例のプロトミノーを泳がせたりしていたのだが、なんとなく私と友人は流れの緩いシャローになっている水面に目をやった。するとそこに、バスがいた。なんとなく調子が悪かった私は、その魚の向いてる方向に投げやり気味にルアーを投げ込み、泳がせてみたのだ。よくよく考えると、魚のいた場所も、自分の投げた方向さえも理由が分からない。全てやる気がなかったようなキャストだ。ただ、ルアーだけがやる気に満ちていたようで、ルアーはブリブリと泳ぎだした。投げて3秒ほどの出来事である。『ガガガッッ』とその魚はルアーに吸い寄せられるように掛かり、静かに走り出した。ルアーは、樹脂を貼りあわせて泳ぎとウエイト位置を確認するためだけのプロトである。当然力を掛ければ金具が抜けてしまうであろう。ファイトさせられない以上は騙すしかない。幸いロッドワークだけで寄せてこれたうえに、スタジオオーシャンマーク製のギャフ(シーバス用でベストに付けていた)があったため無事ランディング。すこし痩せた64!
cmだった。
 このバスは、これまで書いてきた落ち鮎のパターンとは明らかに違う。わざと流れの緩むシャロー(砂だまり)について、休んでいるような感じであった。ひょっとしたら小さいバスの溜まるエリアを独り占めするようについているのでは…? そう考えた私は次の日、サスケ90SS壱を、これまで小バスエリアだと思って相手にしなかったダム側の砂地に投げてみることにした。緩い流れに逆らうようにスロージャークでブルブルさせ、一旦停める。これを繰り返して3投目、『ガツッ、ググ…ビリビリビリビリ…プツ…』魚は岩場に突入して消息を絶ったようだった。その後、同じ方法で掛かるバスはいなかった。やはり広いエリアを大型が独占していたのだろうか。
 多くのランカーバス、ビワコオオナマズ達など、数々の大型魚を釣り慣れた、自信のあるシイラタックルで、16Lbで一度として主導権を持てず、なすすべもなくドラグを引きだされて私の秋バスは幕を閉じたのだった。

●私的ロッドの角度
 最後に、わたしはロッドの角度を水平面から70度くらい立てることでラインを必要以上に流れに飲ませないようにしている。これが案外ショートバイトの魚を釣るコツかもしれないのでご参考までに。っていうか、たくさん釣ってるときは落ち鮎に限らずいっつもロッドを立ててる気が…。

2016年12月28日水曜日

現場の空論2トゲを嫌う?(2002年7月)

※Sport & Fishing NEWS 2002年の初校原稿です。
現場の空論
第2回

text by小川健太郎
〜好き勝手書くのでアテにしないでね

魚はトゲを嫌うのではないか、の巻き

リード
答えを探す過程で必ず通らなければならない「仮説」。釣りというのはこの仮説を実証させることの連続であり、この探究心への深い情熱こそ、ハマってしまう諸悪の根源なのだ。わかったところでなんの人生の役に立つわけではない、数々の仮説。当ページは、この無駄な知識に人生をかける男の物語である。

●ブルーギルは食われない?
 よく、『バスのエサ釣りにはブルーギルを使わない』という話を聞く。これはブルーギルのとがった背ビレ(棘条)がバスの捕食を妨げるのだそうだ。これによってウグイなどが良質のエサとされているのだが、確かに小さいバスを釣るのには、ブルーギルのトゲが仇になることが多い。しかしデカいバスはブルーギルのトゲに躊躇することなく襲っているように見える。
 またハリセンボンのように全身トゲで身を守っているものもいるが、GTほどの大きな魚になればこれまた躊躇なく襲ってしまう。ほかにはニザダイのようにトゲを備えて敵を攻撃するものもいる。はたしてトゲは魚にとって、どのような意味を持っているのだろう。これが今回のお題である。

●ハリの秘密
 プラグのフックは銀が多く、ワームのフックは黒が多い。これはなんでこうなったんやろか。私はこんな、ちょっとした疑問があって、ブラックバスでいろいろな実験をしたことがある。糸に結んだハリだけを魚に見せる実験だ。
 銀の場合、動きを加えるとキラキラして、近い距離まで寄ってくる魚も見られたが、だいたいの個体がハリから距離を置いて様子を見ていた。また、銀のハリを動かさないときは、魚が動けば反射光も動くことで、妙にトガっているのが認識されてしまうのか姿を見て逃げる個体が多かった。逆に黒の場合、動きが加わると形が見えてしまうのか、逃げる魚が多くなったが、これにアタックする個体も稀に見られた。また、黒が停まっているときは先端が認識しにくいのか、素通りするものがほとんどであった。
 この実験から、ハリの秘密には近付けた気がしたが、トゲに対する行動ははっきり見られなかったが。ただ、銀を停めたときの魚の行動だけは、水槽でも自然条件でもあきらかにトゲを嫌っている行動のように見えた。

●トンレサップ湖畔にて
 最近、私は乾季のカンボジアのトンレサップ湖へ釣りに出かけた。このとき、船頭のニイちゃんに、こんな話を聞いたのだ。
「ここいら一帯にびっしり生えてるこの低木触ったかい?木のすべてが、すげえトゲトゲしてるだろ。これはここの湖からメコン川を下った下流にあたる、ヴェトナムにしか生えてなかった木なんだ。
 雨季になると、トンレサップ湖のここら辺は全部水で埋まってしまって、ほんとなら魚のスポーニングエリアになるんだけどヨ、この木がこんなにびっしり生えてから魚が卵を産まなくなった。トゲの木があるから魚が入って来なくなったんだ。このトゲに刺されたら魚が死ぬんだ。
 この木は数年前ヴェトナムの飛行機が種を撒いていったんだ。なぜかっていったら、このトンレサップ湖にいる魚が湖から離れたら、下流にあるヴェトナムの漁獲量は上がるだろ?おかげでこっちはもうほとんど魚が捕れなくなってしまったよ。」
 この話を聞いたとき、わたしはカンボジア人の反ヴェトナム感情を知っていたので、話の本筋は聞き流していたのだが、このトゲに関する情報だけは聞き逃さなかった。すくなくともカンボジアの魚は大小問わずトゲを嫌うのだそうだ。

●トゲの空論
 魚にはどうやら硬いトゲを嫌う性質はありそうである。ただ、私が見てきたなかでは、口に入るものに関しては『大きすぎなければ気にならない』という傾向が見られた。これに対して、身体に触れるものに関しては『大小問わずイヤ』なのだと考えられる。もしかしたら、魚にとって『スレ掛かり』なんてのはもう、背筋が凍り付くほどイヤな世界なのかもしれない…。

2016年12月27日火曜日

現場の空論1ー動く、動かない(2002年6月)

 「ウケたら、続けよう」ワタクシの育ての親である萱間編集長の原稿依頼でした。そんな『現場の空論』は計三回とボツ一回。ウケなかったと(爆)。
 月に14本もの雑誌に連載をしていた頃、最も思い入れがあったのが、この短命に終わった現場の空論です。裏付けとかの面倒な文献をさわることもなく、これまでの経験をもとに自由に推論を書いていく。そんな連載でした。他の連載は釣り、アウトドア、車、音楽、タウン誌、ゴーストライティング、とどれもこれもある水準のご要望に応えなければならないものばかり。これを発表できることが、心の癒しでした。


現場の空論1
※Sport & Fishing NEWS 2002年の初校原稿です。

text by小川健太郎
〜好き勝手書くのでアテにしないでね

イカの眼はこうなっているのではないか、の巻き

リード
答えを探す過程で必ず通らなければならない「仮説」。釣りというのはこの仮説を実証させることの連続であり、この探究心への深い情熱こそ、ハマってしまう諸悪の根源なのだ。わかったところでなんの人生の役に立つわけではない、数々の仮説。当ページは、この無駄な知識に人生をかける男の物語である。

●餌木ニ思フ
 ふと、餌木ってなんで布巻きなんでしょうね、ってことを考えていると、日常の我々の生活にも、じつはヒントが隠されていたりする。通常、イカは強い反射を嫌うので、それを弱めるために布巻きにする、とか、抱き心地の向上などと言われているが、ホントにこんな理由で布巻きにするの?と疑問が多かった。抱き心地に至ってはもうハリに触れているじゃねえか、ってことで、釣り人に重要なキーとも思えない。
 そんなとき、はじめて餌木のチカラが見えたのは、本誌「10倍釣れる〜」でお馴染みの弓削氏とのはじめての釣行の際であった。この日は同行者の1パイしか釣れなかったし、それ以前にたくさん釣った日もあるが、なぜ布巻きかが見える瞬間などなかったのである。この釣行の際、弓削氏は同行者にこう教えていたのである。「ハイ、ピタッと停める」これを聞いた時、餌木が布巻きでなければならない理由が突然見えてきた。もンのすごいヒントが隠されていたのだ。

●石コロ帽
 『ドラえもん』の漫画に出てくる「石コロ帽」というアイテムをご存知だろうか。それを被ると路傍の石のような存在と化し、誰にも気付かれなくなる。このアイテムを出す時ドラえもんは、「人間には盲点があり、この帽子を被るとその盲点に入っちゃうんだよ」というような一見解るようでわからない説明を加えていた、と記憶している。僕が思うに、この説明の『盲点』というのは、「見えていて気にならないところ」であろうと考える。つまり、そのへんにあるものは気にならない、という部分がこの話のミソであった。しかし、なぜ気にならないのだろうか。いわれてみればその辺の石は注意して見ないと忘れてしまう。小さければ小さいほどその感は強くなるが、今回重要なのは大きさではなく「石コロは動かないこと」これに尽きる。なにしろジッとしていれば人間にだって気付かないことも多いわけだ。これを今回『盲点』として話を進めて行きたい。

●動く、動かない
 この盲点が発生するのはとりわけマットなものが多い。なぜなら、クリアなものや反射するものは、こちらが動くと向こうも動くのである。ガラスのコップが置いてあれば眼には入ってしまうのだ。しかし、ガラスが動いてしまうと、捕まえるのも困難になるほど距離をつかみにくい。これはシルエットをまとわないからであろう。逆に布や木、石などの反射、透過をしないものはどうなのか。こいつらは自発的に動くと見えてしまうが、動かない限りは、じつに注意を注ぎにくいヤツラなのである。
 つまり、餌木を動かしている間はイカには餌木が見えている、ということで追わせる。次に停めた瞬間に見えなくなることで、イカには急に見えなくなり、生物特有の「ないものほど欲しくなる」欲求をくすぐっているのではないかと思いはじめたのだ。

●パズルの最後のピース
 思ったらすぐに試す。これが現場型妄想ヤロウの真骨頂である。様々な釣り場で見えているイカのみに絞って実験を繰り返すことにした。確かに停止させるとイカは餌木がわからないのか、当てずっぽうな攻撃ばかりするようになった。これがいわゆる「横抱き」の多発である。個人的には釣果に結び付けたいわけではないので、このイカの眼を騙して楽しんでいたわけだが、ある日、これを見ていたガンクラフトの平岩氏が、「前方へ方向性を与えると尻のフックに抱きますよ」と教えてくれた。これがこのイカの視覚問題というパズルの、最後のピースだったのである。
 イカはマットなものが停まるとソイツの方向性が解らなくなる。眼でも見えにくい。この状態で闇雲に横抱きしてくるわけだが、もしここで餌木にカーブフォールなりの方向性を前方へ与えると、見えないはずのものが急に残像のように(イメージね)見えてくる。このわずかな差異をきっかけに、しっかりと抱きにかかるのではないだろうか。
 こう考えていくと、たしかにこれは布巻きでマットにしたくなる話ではないだろうか。


オマケ
日本の面白い釣り
ホタル釣り

 6月になると、近郊にはわんさかとホタルが出てくる。誰も気付かないだけかもしれないが、そんじょそこいらの川にもホタルはいる。秋には秋のホタルもいるんだよ…ってそんな話ではなかった。
 わたしはこのホタルを釣るための仕掛けをいつも車に隠している。それは昔ペットボトルのお茶のおまけで付いていた、グリーンの小型ダイオードで、ボタン電池で光らせるタイプのもの。指で配線を押すと点灯、離すと消えてしまうというシロモノだが、これをいっぱい持っている。コレクターではなく、すべてはホタル釣りのために、である。
 無脊椎動物はグリーン〜シアン系の色の光に色気を感じるらしく、ホタルイカも上方に向かってはこんな色で発光し、求愛したりする。これは紫外線が判別できることと関係があるのかもしれないが、今回はその話は置いておこう。このグリーンのライトはそんなホタル達の信号の光より、微妙に強い光を持っているのだ。これは有利ですよ。
 何しろこのグリーンのライトをホタルにあわせてチーッカ、チーッカ、と刻むだけでホタルは寄ってくるのだ。当然向こうは命を張っているので、ニセモノと気付き次第、それはもう超高速で逃げていってしまう。しかしホタルの言語がわかればもうお手のもの。ヤツラは近づいてくると点滅をやめて点灯しだす。これが彼ら独特の1対1の合図となるのだが、このときあえてライトを消してしまう。するとどうだろう、今度は光源を探しはじめ、非常に近くまで寄ってくる。これを手でフワリと捕まえてやる、という寸法。
 おじいちゃんから子供まで楽しめるので、シーズンが始まると魚そっちのけで皆さんこれに没頭している。ボランティアみたいなもんにもなる可能性を秘めた、近未来型の新しい釣りといえよう(嘘)。

2016年12月26日月曜日

過去原稿の墓場を作ります。

先ほどのニュースでジョージマイケルが亡くなったことを知りました。
人生の影響のほとんどすべてを彼から受けていたワタクシにとっては、
なんとも言葉にすることは難しく、お悔やみ申し上げるのが精一杯です。

自暴自棄になるのもアレなんで、この件で、ずっと気にかかっていたことを
すっきりとさせる決心がつきました。
過去の原稿で権利が自分にあるものをすべて、元原稿で公開したいと思います。
自分がファンであったジョージマイケルの音源が、例えどんな未完成品でも気になるように、
ジャンルは違えど自分にも熱心なファンがいらっしゃったことに対し、何もできていなかったこと。
これができずに死ぬとしたら、やっぱり申し訳ないのです。

今回の件で、思い知らされたこと。
今までは釣りというものは音楽と違って、人間が何かを表現したり教えたり…なんかは正直どうでもいいと思ってました。
誰かが解明して、魚が証明して、そんで終わり。そこに誰の名前も要らない、と。
他のレジャーと違って、相手が魚である以上、道、家はない、と。
でもその考えは、釣りに取り組む過程が人生にまで影響を及ぼすことを考えた場合、ちょっと違うものだったようです。
道もあるし、家もあって然るべきでした。
釣りしかしない人も居ますし、そうでない人にも、沢山の人生を変えるようなことをして来てしまったようです。

だからと言って自分がそれを先頭切って何か道場のようなものを立ち上げるのではないのですが、
釣りをやって、魚に何かを求め、知りたい人がいるのであれば、
ワタクシなんぞの稚拙な原稿であっても、何かの役にたつかもしれない。
ましてや週刊月刊、地域限定でほんの一定期間公開されただけのものが、
すべての人の目に留まるわけもなく、見過ごされた方も多いはず。

そんなわけで、権利がワタクシにある文章や写真に限っては、
これから余力が続く限り随時自動公開していこうと思います。
明日12/27付けで一回目、以降は月水金で朝の自動投稿を予定しております。
原稿量が普通の執筆者レベルではないので、どこまで行けるかはわかりませんが、
今後も脳みそがスカスカに死んでいく人間の余力だと思って、
生暖かい目で見守ってください。